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魑魅魍魎

[Four-character Idiom] Ep.#9 Title: Chimi Mōryō【四字熟語】魑魅魍魎

Monsters, yōkai, and Mononoke(evil spirits) that mislead people(人を惑わす得体の知れない化け物、妖怪、物の怪)

Four-character Idiom: 魑魅魍魎 Chimi Mōryō

魑魅魍魎

サムライチャンプルー #9 魑魅魍魎


“Chimimoryō” is a four-character idiom in the story “Ask about the weight of the ding tripod cauldron” derived from a Chinese history book.

魑魅魍魎ちみもうりょう』は、中国ちゅうごく歴史書れきししょ由来ゆらいする四字熟語よじじゅくごで、『かなえ軽重けいちょうう』というはなしなか登場とうじょうします。

魑魅魍魎

Chimimōryō

Literal Translation of Chimi Mōryō | 魑魅魍魎の直訳


Supernatural creatures of mountains and supernatural creatures of rivers

やまかわ


Ancient Chinese yōkai, spirits, gods or something

古代中国こだいちゅうごく妖怪ようかいたましいかみなに


According to “History of the Five Emperors from Records of the Grand Historian”, 魑 is a tiger-shaped mountain god, and 魅 is a boar-head doll swamp god.

史記しき 五帝本紀ごていほんき』によると、とらかたちをした山神やまがみ猪頭いがしら人形にんぎょう沢神さわがみ

Meaning of Chimi Mōryō | 魑魅魍魎の意味


1. Things we don’t understand

① わけのからないもの


2. A person who does bad things for his own self-interest

私利私欲しりしよくのためにわることをするひと

Attribution of Chimi Mōryō | 魑魅魍魎の属性


< Idiom derived from historical events or classical literature of China >

故事成語 こじせいご

Origin of Chimi Mōryō | 魑魅魍魎の由来


“Chimimoryō” appears in “Master Zuo’s Commentary to the Spring and Autumns”.

春秋左氏伝しゅんじゅうさしでん』に魑魅魍魎ちみもうりょう登場とうじょうします。


Questioning the weight of ding tripod cauldron

かなえ軽重けいちょう


Hakubun(Unpunctuated Chinese texts):

白文はくぶん

楚子伐陸渾之戎、遂至于雒、觀兵于周疆。定王使王孫滿勞楚子。楚子問鼎之大小輕重焉。

對曰、在德不在鼎。昔、夏之方有德也、遠方圖物、貢金九牧、鑄鼎象物、百物而為之備、使民知神姦。

故民入川澤山林、不逢不若。魑魅魍魎、莫能逢之、用能協于上下、以承天休。

桀有昏德、鼎遷于商。載祀六百。商紂暴虐、鼎遷于周。德之休明、雖小重也。其姦回昏亂、雖大輕也。

天祚明德、有所底止。成王定鼎于郟鄏、卜世三十、卜年七百。天所命也。今周德雖衰、天命未改。鼎之輕重、未可問也。


Kakikudashi Bun(Transcription of Chinese classics into Japanese):

くだぶん

楚子そし陸渾りくこんじゅうち、ついらくいたり、へいしゅうさかいしめす。定王ていおう王孫満おうそんまんをして楚子そしねぎららわしむ。楚子そしかなえ大小だいしょう軽重けいちょうう。

こたえていわく、とくりてかなえらず。むかしまさ徳有とくあるや、遠方えんぽうにはものえがき、きん九牧きゅうごくこうせしめ、かなえものかたどり、百物ひゃくぶつにしてこれそなえをし、たみをして神姦しんかんらしむ。

ゆえたみ川沢せんたく山林さんりんりて、不若ふじゃくわず。魑魅魍魎ちみもうりょうこれうことし。もっ上下じょうかかなえ、もっ天休てんきゅうく。

けつ昏徳こんとくりて、かなえしょううつる。載祀さいし六百ろっぴゃくしょうちゅう暴虐ぼうぎゃくにして、かなえしゅううつる。とく休明きゅうめいならば、しょうなりといえどおもきなり。姦回かんかい昏乱こんらんならば、だいなりといえどかろきなり。

てん明徳めいとくするや、底止ていしするところり。成王せいおうかなえ郟鄏こうじょくさだめ、ぼくすること三十さんじゅうとしぼくするに七百しちひゃくてんめいずるところなり。いましゅうとくおとろうといえども、天命てんめいいまあらたまらず。かなえ軽重けいちょういまうべからざるなり、と。


Modern Translation:

現代語げんだいごやく


When King of Chu attacked the ethnic group in 陸渾 and came up to the banks of Luo River (Henan), they held a military parade near the border of the Zhou dynasty in order to display its military power against Zhou.

楚子そし荘王そうおう)が陸渾りくこん地方ちほう異民族いみんぞくめ、洛水らくすいというかわのほとりまでやって来ると、しゅう国境付近こっきょうふきん観兵式かんぺいしきおこなしゅうたいして兵力へいりょく誇示こじした。


Then, King Ding of Zhou dispatched 王孫満, a high steward of Zhou, to King Chu to commend King Chu’s achievement.

そこで、しゅう定王ていおうは、周の大夫たいふである王孫満おうそんまん楚子そしのところへ派遣はけんして、楚子そしねぎらわせた。


King of Chu asked about the size and weight of the ding tripod cauldron to 王孫満.

楚子そし王孫満おうそんまんに、かなえおおきさとおもさをたずねた。


王孫満 answered.

王孫満おうそんまんこたえました。


“The size of the ding tripod cauldron is determined by the virtue of the person who owns it, not the ding itself.

かなえ大小軽重だいしょうひととくによってまるのであって、かなえそのものにそなわるのではありません。 


A long time ago, during the era of the Xia dynasty, we cast and made ding tripod cauldrons with copper that was tributes from grand stewards of nine states (=all over China).

むかし王朝おうちょう時代じだい九州きゅうしゅう(=中国全土ちゅうごくぜんど)の長官ちょうかんからおくれたどうかなえつくりました。


On the surface of the dings, they drew Chimimōryō from each place so that people can distinguish those gods and monsters.

そのかなえ表面ひょうめんに、各地かくち魑魅魍魎ちみもうりょうすがたかたちをきました。それら神や化け物などを見分みわけられるようにするためです。


Thanks to that, people could know what kind of monsters are living in rivers, swamps, mountains, and forests without encountering evil things when they go there, and could benefit from heaven.

そのおかげでたみかわさわやまはやしはいっても邪悪じゃあくなものにわず、どんなものんでいるのかをることができるようになり、てんからの恩恵おんけいけられるようになりました。


However, because Jie of Xia lost their virtue, their ding moved to the Shang dynasty, and 600 years have passed since then.

しかし、けつとくうしなったため、かなえしょういん)にうつり、それから六百年ろっぴゃくねんちました。 


And because King Zhou of the Shang dynasty was violent, the ding moved to Zhou again.

そして、しょういん)の紂王ちゅうおう帝辛ていしん暴虐ぼうぎゃくであったため、またかなえしゅううつりました。 


If the virtue shines beautifully, even if the ding is small, it is heavy.

もしとくうつくしくかがやいていれば、たとえかなえちいさくても、おもいものです。


If the world is disturbed by evil, the ding is big but light.

もし、邪悪じゃあくみだれていれば、かなえおおきくてもかるいものです。


Heaven bestows good fortune on a virtuous person, but it also has a deadline.

てんとくのあるひとふくさずけますが、それも期限きげんあることです。


It went out fortune-telling that when King Cheng enshrined ding in Luoyang, a city located in the confluence area of Luo River (Henan) and Yellow River, the dynasty will continue for 30 generations, total 700 years.

しゅう成王せいおうかなえ洛陽らくよう安置あんちしたとき、王朝おうちょう三十代さんじゅうだい七百年ななひゃくねんつづくとうたないにました。


This is a destiny.

これは天命てんめいであります。


Although the virtue of the Zhou dynasty has declined, destiny has not changed yet.

周王朝しゅうおうちょうとくおとろえたとはいえ、天命てんめいはまだあらたまっておりません。 


So, you shouldn’t ask about the weight of the ding.”

かなえ軽重けいちょううことはなりません」

Source of Chimi Mōryō | 魑魅魍魎の出典


“Master Zuo’s Commentary to the Spring and Autumns” *

春秋左氏伝しゅんじゅうさしでん宣公三年せんこうさんねん

* Annotation of the history book “The Spring and Autumn Annals”. Volume 30.

歴史書れきししょ春秋しゅんじゅう』の注釈書ちゅうしゃくしょ。30かん

References(参考)


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